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イタリア空軍国防省 ”Rivista Aeronautica”

JAN-APR 2020

イタリア空軍国防省が発行する隔月刊誌”Rivista Aeronautica” 「リヴィスタ・アエロナウティカ」2020年1-2月号の128ページから131ページに、3-4月号の132ページから135ページに私の記事が掲載されています。

(イタリアで蔓延している新型コロナウイルス禍の為に、厳しい外出禁止令が出され、書店やキオスクで購入することが困難な方々のために、ウェブ公開されました)

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1920年(大正9年)5月31日の午後、20万人の大観衆が待つ東京の代々木練兵場(現在の代々木公園)にイタリア陸軍航空部隊の2機の複葉機が到着しました。

この2機は、2月にローマを出発し、ヨーロッパからアジア、極東までの約18.000Kmを三カ月半かけて飛行したのち、東京に到着したのでした。

イタリア航空部隊は、政府と軍部の協力のもとに、莫大な国家予算を費やして「ローマ東京間飛行」を敢行しました。

4人の搭乗員は、史上初の快挙を成し遂げた英雄として、日本で国を挙げての大歓迎を受け、公式祝賀会は5月30日から7月10日まで、42日間にも及びました。

2人の飛行士アルトゥーロ・フェラリンとグイド・マジエーロは、6月3日に大正天皇の妃貞明皇后と謁見しました。アルトゥーロ・フェラリンの自伝「世界への飛行」を読む中で、謁見の際の貞明皇后の言葉が気になりました。それは、東京の20万人に及ぶ尋常小学校と高等小学校の児童生徒に、「ローマ東京間飛行」をテーマにして絵画と書道の作品をかかせて、優秀作品を集めて2冊の「記念帖」をつくる。それをイタリア王妃にプレゼントしたいので、イタリアに持ち帰ってほしい。というものでした。私はその記述をもとにこの2冊の記念帖を4年間の調査を経て、イタリアで「発見」する事が出来ました。

1冊目はパイロットの次男のロベルト・フェラリンさんのミラノのお宅に保管されていたことを確認。2冊目はローマ近郊ヴィーニャ・デイ・ヴァッレのイタリア空軍歴史博物館の記録保管所に保存されていたことを発見しました。

この記念帖におさめられている作品は計164点ですが、当時の日本の小学生にとって、イタリア人パイロット達は、困難と辛苦を、不屈の精神と忍耐と努力、勇気と卓越した操縦技術を持って乗り越えた、憧れの英雄だったのです。

この記事の中では、3点のみ紹介させていただいています。


当時13歳だった「神童」と呼ばれた田中孝は、奄美大島の自然を描いた有名な画家 田中一村になります。

12歳の稲波弘次少年は、騎馬将校になり1936年のベルリンオリンピックに参加し、彼の姿は、レニ・リーフェンシュタール監督の映画「美の祭典」に捉えられていました。

12歳の吉村順三少年は、のちに皇居新宮殿やロックフェラー3世の別荘やニューヨークの日本クラブの建物の設計に携わる、世界的に有名な建築家になりました。

私は1月に、東京で、ご子孫であられる医師の稲波弘彦博士と音楽家吉村隆子先生のお二人にお会いする事が出来ました。 お二人共にこの記念帳の作品の発見にとても驚き喜んで下さいました。
この2冊の記念帳は、現代日本人の目に触れる事により、真の価値が評価されるものと確信しています。 ローマ東京間飛行成功の3年後の1923年には関東大震災があり、1945年には東京大空襲により、東京の大部分は灰燼に帰しました。当時の東京の小学生の児童生徒の作品が、イタリアで大切に保管されていたことは奇跡的にすら感じられます。 この記念帳の作品が、日本で特別公開され、子孫の方々との再会や、更なる研究が深められる事を心から期待しています。 調査に御協力下さった方々に心より感謝致します。

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